紅久の歴史

紅久の創業は、江戸時代文政8年(1825年)、清崎城のお殿様に「松風軒」という屋号を頂き菓子店をはじめました。

明治に入り「松風軒 紅久」と屋号を改め、安田姓を名乗るようになりました。昭和には屋号を「紅久」に改称して現在に至っています。

松風軒紅久(昭和7年の大火以前の店舗)松風軒紅久(昭和7年の大火以前の店舗)

松風軒紅久(昭和7年の大火以前の店舗)松風軒紅久(昭和7年の大火以前の店舗)

昭和7年の糸魚川大火により店舗兼住宅を焼失し、現在の場所へ移り営業を再開しました。

昭和7年に発生した大火の被害マップ昭和7年に発生した大火の被害マップ

紅久店舗(昭和34年より)紅久店舗(昭和34年より)

紅久店舗(昭和62年より)紅久店舗(昭和62年より)

紅久店舗・工場(平成25年より)紅久店舗・工場(平成25年より)

昭和9年、3代目が糸魚川銘菓を作りたいと考え、早稲田大学の校歌や童謡「春よ来い」の作詞者で幼馴染の歌人相馬御風先生をはじめ当時の糸魚川の方々の力を借りて作り上げたのが、かすていらせんべいの「山のほまれ」です。

山のほまれ銘菓の名付け親は相馬御風先生で、翌年「紅久新菓に題す~」との詩を頂き今でも店内に飾っています。

相馬御風先生の詩相馬御風先生の詩

紅久の沿革

文政8年(1825年)松風軒 創業(清崎城主より命名頂き初代・弓八がはじめる)
天保7年(1836年)松風軒発行(まんじゅうの商品券)・相沢玄白様ご注文
明治2-3年(1869-1870年)屋号を松風軒紅久とあらため安田性を名乗る(二代目・久八)
明治6年(1873年)安田久八 地区策定の世話方として活躍(市史に記録あり)
昭和7年(1932年)横町より出火の大火(約250戸消失)で店舗・住宅焼失
昭和9年(1934年)七間15番地に移り営業
昭和34年(1959年)七間6の甲に移り営業
昭和52年(1977年)合資会社 紅久へと法人化
昭和62年(1987年)紅久 新店舗落成(本町7番13号)
平成25年(2013年)紅久 店舗・工場を新築(本町7番18号)
平成28年(2016年)12月22日 糸魚川市駅北大火により自宅兼事務所焼失
平成29年(2017年)MOTTAINAIもっと』にてクラウドファンディング実施

会社概要

社名合資会社 紅久
代表社員安田 貴志(六代目)
住所〒941-0068 新潟県糸魚川市本町7-18
電話番号025-552-6249
ファックス025-552-6249
メールアドレスbenikyu@gmail.com
ホームページhttps://yamanohomare.com
営業時間8:30 〜 17:30
定休日毎週火曜日

六代目 安田 貴志六代目 安田 貴志